2020年9月、日本中を震撼させた訃報から振り返る女優の軌跡と真実
はじめに:突然の別れが残した衝撃
2020年9月27日、日本の芸能界に衝撃が走りました。実力派女優として知られる竹内結子さんの突然の訃報。当時40歳という若さでした。この知らせは、彼女の出演作品を愛してきた多くのファンだけでなく、共演者や関係者にも大きな悲しみをもたらしました。
特にこの時期は、同年7月に三浦春馬さん、9月に芦名星さんという俳優が相次いで亡くなった直後でもあり、芸能界全体に暗い影を落としました。竹内さんの死因については様々な憶測が飛び交いましたが、彼女の人生を振り返ることで見えてくるのは、華やかな表舞台の裏側で抱えていた複雑な思いや、俳優としての並々ならぬ情熱でした。
本記事では、竹内結子さんの生い立ちから芸能界での活躍、そして彼女を取り巻く環境や心情に迫りながら、一人の女性として、一人の俳優としての彼女の軌跡を辿ってみたいと思います。
原宿でのスカウトから始まった芸能人生
埼玉県出身の竹内結子さんの芸能界入りは、多くの若者の夢が詰まった街、原宿から始まりました。中学卒業後に原宿でスカウトされたことがきっかけで芸能活動をスタートさせた彼女は、1995年に大塚製薬のCMでデビューを果たします。
その翌年の1996年には、フジテレビのドラマ「新木曜の怪談」で本格的な女優デビューを飾りました。このドラマでヒロイン役を演じた竹内さんは、初々しさの中にも光る演技力で視聴者の目を引きました。
当時を知る関係者によれば、竹内さんは高校入学直前にスカウトされた際、「家にはもう戻らない」という強い決意を持って芸能界に飛び込んだと言われています。この決断からも、彼女にとって俳優業が単なる職業ではなく、自分の居場所を見つける旅でもあったことが窺えます。
実力派女優としての飛躍と評価
デビュー後、竹内さんは「ランチの女王」や「蘇り」など数々のドラマや映画に出演し、着実にキャリアを積み重ねていきました。しかし、彼女の俳優としての真価が広く認められるようになったのは、2007年のことです。
映画「サイドカーに犬」での演技が高く評価され、キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞や日本映画批評家大賞主演女優賞など、多くの権威ある賞を受賞しました。この頃から、竹内結子は「かわいい」という枠を超えた実力派女優として、業界内外から注目を集めるようになります。
その後も彼女は俳優として多彩な役柄に挑戦し続け、2018年にはフールーとHBOアジア初の国際共同制作ドラマ「ミス・シャーロック」で女性版シャーロック・ホームズを演じました。このドラマは世界19カ国で放送され、竹内結子の名は国境を越えて知られるようになりました。
知られざる素顔:完璧主義と優しさの共存
華やかな活躍の裏側で、竹内さんはどのような人物だったのでしょうか。彼女と仕事をした関係者の証言からは、仕事に対する真摯な姿勢と厳しさが浮かび上がってきます。
20代半ばの頃から、演じる内容に疑問があれば、その思いを監督やプロデューサーに率直にぶつけることがあったといいます。「このヒロインは芯が強く自分の意思で物事を決めるから、こんな受け身のセリフはおかしい」など、役柄の本質に迫る鋭い指摘をすることもあったそうです。
業界内では「今後のオファーを考えて使いやすい俳優であろうとする人が多い中、自分の意見をしっかり伝える姿が印象的だった」と評価する声もあります。
また、撮影現場でのエピソードも彼女の人柄を物語っています。あるドラマの撮影中、エキストラが怪我をするアクシデントが発生した際、竹内さんはスタッフに「エキストラさんが怪我をしない撮影準備は我々の責任です」と指摘。その後、なぜそこまで言うのかと尋ねられると「現場が少しでも手を抜くといい作品ができないし、怪我人が生まれるから」と答えたといいます。厳しさの中にも現場全体を思いやる優しさが垣間見える出来事でした。
その一方で、自分自身に対しても非常に厳しい面があったようです。うまく演技ができなかったりNGを出すと、他の俳優と比べ物にならないほど落ち込み、しばらく楽屋から出てこなかったこともあったといいます。特にデビュー当初は、演技が思うように行かず精神的に不安定になることも多く、事務所幹部が何度も撮影現場に来て彼女をケアしていたとの証言もあります。
しかし、そんなストイックな一面とは対照的に、周囲への心配りにも長けていました。共演者には明るく接し、先輩を立てる姿勢を貫いていたといいます。親友のイモトアヤコさんが南極大陸最高峰に挑戦した際には、カップラーメンをダンボール箱いっぱいに詰めて手紙を添え、キャンプ地まで送ったというエピソードも。また、家族ぐるみで付き合いのあった爆笑問題の田中裕二さんが新型コロナに感染し退院した際には、快気祝いを送るなど、人との繋がりを大切にする温かい人柄の持ち主でした。
複雑な家庭環境と母親の死
竹内結子さんの人生を語る上で避けて通れないのが、彼女の複雑な家庭環境です。3人姉妹の末っ子として生まれた竹内さんですが、中学生の時に両親が離婚。しかし、その後も家族は同居を続けていたといいます。
そして中学2年生の時、彼女にとって大きな転機が訪れます。母親がガンで亡くなったのです。その翌年、父親は3人の子を持つ女性と再婚しました。当時を知る知人は、「竹内さんが母方の祖母の家でよく過ごしていた」と振り返り、「連れ子である自分は父親にとって邪魔者だと考えてしまったのだと思う」と、彼女が家庭に対して複雑な思いを抱いていたのではないかという見解を示しています。
一方で、母方の祖母は竹内さんをとても可愛がっていたようです。「裕子さんがまだ女優デビューしたての頃、おばあちゃんの家の玄関には裕子さんのカレンダーサイズのポスターが貼ってあった。孫娘が女優になったことをとても自慢に思っていたようです」と近隣住民は語っています。
祖母が行きつけだったという寿司屋の女将も、「おばあちゃんは幸せそうだった。自分でも裕子さんが出演する作品をよく見ていて、私たちにも『孫娘が出演するドラマや映画を見に行ってください』と宣伝していた」と当時を振り返り、非常に良好な関係だったと証言しています。
このような環境の中で、竹内さんは高校入学直前にスカウトされると、「家にはもう戻らない」という決意を持って芸能界に入ったと言われています。そのため、俳優業は彼女にとって単なる職業ではなく、自分の居場所という強い思い入れがあったのではないかとも言われています。
結婚・離婚・再婚:私生活の変遷
竹内結子さんの私生活も、決して平坦な道のりではありませんでした。2005年6月、彼女は映画で共演した歌舞伎役者の中村獅童さんと結婚し、同年11月に長男を出産します。しかし、その後中村さんの不倫騒動もあり、2008年に2人は離婚。長男の親権は竹内さんが持つことになりました。
離婚後、竹内さんは俳優業と両立しながら10年以上もシングルマザーとして育児に奮闘していました。そして2019年2月、彼女は俳優の中林大樹さんと再婚します。当時発表したコメントでは、「3人一緒になればこれから楽しくなるね」と長男が再婚を後押ししてくれたとも明かしていました。
その後、2020年1月に竹内さんは第2子を出産し、円満な家庭を築いていたと言われています。竹内さんが第2子を出産した際には親族と集まる機会があったそうですが、当時の様子について親族は「普通に元気だった」と言葉少なに振り返っています。
また、亡くなる2週間ほど前には夫と都内の飲食店を訪れていたといい、その飲食店関係者は「天ぷらを夫婦で分け合って食べるなど、仲むつまじい様子だった」と当時の様子を明かしています。
最期の日々:謎に包まれた真相
2020年9月27日、竹内結子さんの訃報が報じられました。当時の捜査関係者によると、夫の中林大樹さんが意識不明状態の竹内さんを発見し、119番通報を行いましたが、その後病院で死亡が確認されたということです。
竹内さんは亡くなる前日の夜も、夫と2人の子供と夕食を取り、普段通りに過ごしていたと言われています。その後、竹内さんは1人で寝室となる2階へと上がったのですが、10分ほど経っても1階に降りてこなかったため、夫の中林さんは「疲れて寝たのだろう」と思ったと話しています。
そしてその後、中林さんと長男も就寝のため2階へ上がったところ、中林さんがぐったりしている竹内さんを発見し通報したという経緯が明らかになっています。
現場に遺書が残されていなかったことなどから、事件性はないと判断されましたが、夫婦仲もよく2人の子供に囲まれた幸せな生活を送っていたと見えていた竹内さんの突然の死に、「当人にしか分からない悩みがあったのでは」「常に不安定だったのかもしれない」など、その心情を思いやる声が多く寄せられました。
また、同年7月に三浦春馬さん、9月に芦名星さんという俳優が相次いで亡くなっていたことから、「3人は同じドラマで共演していた」「亡くなった場所が同じ」「現場から遺書が見つかっていない」などの共通点があるという憶測も飛び交い、陰謀論も囁かれました。しかし、これらの内容はあくまでも噂であるという点には注意が必要です。
さらに、当時は新型コロナウイルスが流行していたこともあり、コロナ禍によるメンタル面への影響が少なからずあったのではないかという意見なども出ていました。
残された家族と現在
竹内結子さんの死後、夫の中林大樹さんと2人の子供は関東近郊で3人暮らしをしていると言われています。そんな中、元夫である中村獅童さんが長男を引き取る意向を示したそうですが、中林さん側は応じていないといいます。
その理由について関係者は、「竹内さんが生前、息子には歌舞伎の道ではなく自由に歩んでほしいという思いで長男を育てていたことを明かしており、中林さんがそんな妻の意思を今も尊重しているからだろう」という見解を示しています。
竹内結子が遺した功績と記憶
複雑な家庭環境を経て芸能界に入り、トップ俳優の座を走り続け、温かな家庭を築いていた竹内結子さん。彼女の明るい笑顔と卓越した演技力は、数々の作品と共に私たちの心に残り続けています。
彼女が遺した作品の数々は、今もなお多くの人々に感動を与え続けています。そして、プロフェッショナルとしての姿勢、周囲への気配り、家族への愛情など、彼女の生き方そのものが、多くの人々の心に深い印象を残しました。
竹内結子さんの突然の別れから数年が経った今も、彼女の存在は多くの人の記憶に鮮明に残り、その作品は時を超えて愛され続けています。彼女が残した足跡は、日本の芸能史に確かな一ページを刻んだのです。